記憶の中の写真 46

夏の日の三軒茶屋  (2023/08/05)

 

Canon eos kiss digital X 18-55mm

Canon eos kiss digital X 18-55mm

 

デジタルカメラフィルムカメラの代わりとして期待され始めたのは、雑誌などで「メガピクセル時代の到来」と騒がれた時からだったと思う。

 

かくいう僕も、200万画素のコンパクトデジタルカメラを手にしてからフィルムカメラを日常的には使わなくなったと記憶している。

 

その当時、何百万画素あればフィルムと同等の解像度になるかが常に雑誌の記事になっており、400万画素だ、600万画素だ、1,000万画素だと、常により多くの画素がデジカメの高画質の決定要因として語られていたように思う。

 

デジタル一眼レフ機も、200万画素、400万画素、600万画素、800万画素、1,000万画素と増えていくにつれて、「解像度でフィルムと並んだ」、「フィルムを超えた」と記事を賑やわせ、僕たちは画素が増えることが正義かのように思い込んでいった。

 

素数が多いデジカメのことを「多画素機」と言わずに、「高画素機」ということも相まって、この時に高画素志向の意識は植え付けられ、ドライブがかかっていったと感じる。

 

気が付くと、最新のデジタルカメラはフルサイズ機(なんかボディーがでかいというイメージの用語だけど)で6,000万画素にもなっており、必要十分な画素数はとうに超えてしまっているように思われる。

 

それでもかつての「高画素イコール高画質」、「イメージセンサーは高画素ほどエライ」という意識を植え付けられらた僕なんかは、「sps-c機で最低でも1,600万画素はいるよね」とか「フルサイズ(フルフレーム)機で2,000万画素は最低でもいるよね」とか線引きをしてしまっていた。

 

実際のところ、1,200万画素でも、1,000万画素でも、それどころか自分の使い方だと600万画素でも問題を感じたことなど一度もないのに、何故か思い込み、決め込みをして、近年全く使おうとしてこなかった。

 

今年あたりから改めて使ってみると、なかなかに楽しくて、面白い。そして写りも十分だと再確認をした。

 

これからは、この自縛から解放され撮像素子の画素数なんか気にすることなく、自由に、柔軟に、そしておおらかに写真の趣味を広げていくことで、写真が一層楽しくなりそうな気がする。