記憶の中の写真 69

観光客の上野駅 (2024/02/26)

 

Olympus OMD E-M5 25mm f1.7

上野駅はかつて北の最果ての地への始発駅という印象を持っていた。

 

関西住まいだった僕にとって、上野駅は西に向かう東京駅と並ぶ北へ向かう東京を代表する2大ターミナル駅の1つだった。

 

上野駅は、活気はあるのだが、何か哀愁を感じる駅だった。

 

子供の頃、春になると、上野駅の「集団就職」や「金の卵」といった話題が新聞やテレビのニュースを賑わせていた。

 

それら映像と記事は、集団就職の子供たちの将来の成長と日本経済の成長を重ね合わせて希望と期待を抱かせて、そして生まれ故郷を離れ見知らぬ地で社会人としての人生のスタートを切る若者たちやその親御さんたちの不安と心配、寂しさと悲しさも映していた。

 

その後の人生において故郷に錦を飾る人たちがいる一方、東京の地を夢半ばで離れる人たちもいたことだろう。

 

上野駅は、東京を離れるそのひとたちが最後に残していく数々の記憶や想いが、哀惜や哀愁として漂っているような気がしていた。

 

現在、日本経済の成長は止まり、停滞し始め、上野駅は北に向かう東京のターミナル駅としての役割も東京駅に譲り、かつての勢いは失われ、ニュースに取り上げられることも減った。

 

そして上野駅は、上野駅-御徒町間のJR高架西側のアメヤ横丁、上野中通り商店街などを訪れる海外からの観光客で溢れる様になり、かつての上野駅の様は大きく変わっていった。

 

それでもアトレの1階ホールから中央改札を隔てた車止めの先に停まっている高崎線の車両が目に入った時には、記憶の中の哀愁のターミナル駅としての上野駅が蘇った。

 

現在、上野駅近辺は立ち飲み屋、路上の屋台、ガード下の居酒屋で飲み食いをしたり、商店街で買い物をしたり、SNSに映える写真スポットで記念写真を撮ったりする観光客の姿で溢れている。