帷子ノ辻駅 (かたびらのつじ)
嵐電は1907年に嵐山電車軌道として神戸川崎財閥(後の川崎製鉄、川崎重工などの母体)によって開設された。その後の経緯はなかなかに複雑なのだが、現在は京阪電鉄グループの鉄道会社として京福電鉄として嵐山本線と北野線の運行を行っている。
帷子ノ辻駅はその嵐山本線と北野線の分岐点(合流点?)となっており、その駅名は京都市内だけでなく関西で有数の難読駅としてあげられることが多い。
嵯峨天皇の皇后で慈悲深く、とても美しかった檀林(だんりん)皇后は、修行の身でありながら自分に恋焦がれ色香に惑う若き修行僧たちに仏教が説く諸行無常の真理を身をもって教えようと、自分が死んだら埋葬せずにどこかの辻に打ち捨てておくようにと言い残した。
遺言どおりに遺体はこの地に捨てられて、野犬やカラスに食われ、やがて腐って、ついには白骨になっていった。
人々はその姿を見て世の無常を悟ったということらしい。
その皇后にかけられた経帷子からこの地の名前が付けられたということである。
結構おどろおどろしくて、現代の私たちにとって一体全体、これが善い話なのか、怖い話なのか分からない。
この話を知った後では、夜遅く駅前の帷子ノ辻を一人で歩くのに少し腰が引けてしまうかもしれない。
帷子ノ辻駅は嵐山本線のターミナル四条大宮駅と嵐山駅の間にある一番大きな駅である。駅舎自体が京福帷子ノ辻駅ビルの中にあり、乗降客数では13駅中、阪急京都線乗り換えの西院駅、京都市営地下鉄連絡の太秦天神川駅、同じく阪急京都線と乗り換えで嵐山本線ターミナル駅の四条大宮駅に次いで4番目となっている。
JR太秦駅にも近く、映画のまちとしての色合いを強めるべく、かつて地下にあった改札口と駅務室を地上に移した後、地下には映画のセットのように昭和のレトロな駅が再現されている。
とはいっても、観光で訪れる場合、太秦映画村も弥勒菩薩像で有名な広隆寺もこの駅より隣の太秦広隆寺駅の方が近いので、そちらを利用することになる。
結局、この駅はほとんどが北野線からの乗り換えと地元の人の生活に使われているのだろう。