写真の中の記憶 Ⅷ

サンタモニカの風 (2005/11/16)

 

CASIO QV-R51

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僕の世代はアメリカ西海岸にあこがれを持っている人も多いと思う。

 

子供時代の1960年代はパパス&ママスの「カリフォルニアドリーミング」やビーチボーイズの「カリフォルニアガール」、「サーフィンUSA」を耳にし、青春時代の1970年代になってからはアルバートハモンドの「カリフォルニアの青い空」、イーグルスの「ホテルカリフォルニア」などを聞いて、西海岸に対するあこがれを強くした。

 

僕がカリフォルニアの大学に留学する1980年12月の前の1977年から1980年まで、日立サウンドブレイクという10分ほどのTV番組が"東京12チャンネル"で夜中に放送され、そこから流れて来る音楽とともに目に映る映像が、西海岸への憧れを一層駆り立てた。

 

世間的にも高度成長でどんどん豊かになっていく日本にとって、開放的で明るいカリフォルニアの文化が当時の若者の関心の的になっていった。

 

そして1979年2月に当時中三トリオとして山口百恵さん、森昌子さんとともに芸能界に華々しくデビューし、人気を博した桜田淳子さんの「サンタモニカの風」によって僕のカリフォルニアに対する憧れの中心がロサンジェルスのサンタ・モニカビーチに集約されていった。

 

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サンタ・モニカはカリフォルニア州ロサンジェルス群西部にある人口10万人弱の都市である。ロスサンジェルスダウンタウンから20kmほど西、サンタモニカブルーバードを車で30分ほど走らせたところにある海岸沿いの街である。

 

僕はオレンジ郡のアパートに移ってからは、勉強の合間を縫ってminolta XDとXG-1(日本モデルXG-E)を首からぶら下げて写真を撮りに出かけていた。

 

当時のサンタモニカのピアには現在のような遊園地はできてなかったが、当に日立サウンドブレイクで紹介されていたカリフォルニアのビーチライフがあり、夢中でシャッターを切っていた記憶がある。

 

1980年代前半、当時サンタ・モニカビーチはどちらかといえばヨーロッパ系のアメリカ人が多く、一方、すぐ南のベニスビーチはアフリカ系のアメリカ人が多いという違いがあったようにに思う。

 

僕はサンタモニカビーチとベニスビーチの両方に出かけては、憧れの風景の写真を撮っていた。

 

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2005年、ほぼ20年ぶりにサンタ・モニカビーチを訪れた。

 

サンタ・モニカのピアには観覧車やローラーコースターなどのアミューズメント施設ができていた。

 

それ以外のビーチの景観などは20年前とあまり大きく変わってなかったが、ビーチライフを楽しむ人達の年齢が少し上がっているように感じた。

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