記憶の中の写真 49

渋谷6 (2023/07/30)

 

Olympus E-PL5 25mm f1.7

 

ある時、渋谷の街中でスナップ写真を撮っていると、CANON New F1 2台を首からぶら下げた笑顔の男性から、「どのような写真を撮っていますか?」と声をかけられた。

 

彼はフィルム一眼レフカメラを使って、街ゆく人に声をかけては写真を撮らせてもらっているらしい。

 

それに対して僕はデジタル一眼で気になったものにレンズを向けてシャッターを切っている。

 

お互い渋谷の街でスナップ写真を撮っているのだが、2人の撮っているものは全く違っているのだなと感じた。

 

スナップ写真と一言でいっても、被写体そのものの自然な形を撮るのか、はたまた被写体との関係性を撮るのかで、撮っているものが違ってくる。

 

例えば、ポートレート写真で美しい女性を撮影する場合、写真を見る人にその美しい女性のその美しさができる限り伝わるように撮るポートレート写真があるだろうし、またカメラマンがまるでボーイフレンドや恋人のような立ち位置で女性の写真を撮り、写真を見る人に写された女性との疑似恋愛体験をさせるポートレート写真もあるように思う。

 

スナップ写真にも「被写体そのものを撮るのか」、「被写体との関係性を撮るのか」という「何を撮るのか?」という根本的な問いがあるように思う。

 

客観的な街の風景や人々の自然なあり様を写真として見せたいのか、写真を見る人がその街を訪れた時に街の人々と図る交流を疑似体験として見せたいのか、によってスナップ写真の撮り方も変わってくる。

 

1980年代の初頭、サンディエゴで写真を撮っていた時には、僕は後者の写真が撮りたくてそのような写真を撮ろうと目指していた時期もあったような気がする。

 

現在の僕は前者のスナップ写真ばかりを撮っている。

 

後者の場合、撮影者の人となりやコミュニケーション能力など、見知らぬ人との交流を図る力が写真にそのまま写る気がするので、気後れしてなかなか僕には撮れる気がしない。

 

人々と上質な交流を築けないと、写真から伝わるメッセージは薄っぺらだったり、単に煩わしいものだったりして共感のできないものに成り下がってしまうように思う。

 

冒頭の彼は、きっと僕を被写体にしようと声をかけてきたのだろうと思う。ところが話をしてみてさっぱり面白くないので、彼の被写体向きではないと判断したんだろう。

 

彼は簡単なカメラの話をして、そそくさと僕のもとから立ち去って行った。