渋谷5 (2023/7/16)
写真は社会を映す媒体として受け止められている一方で、芸術作品としても評価されてたりもする。
つまり写真は、撮る人と見る人の客観性と主観の間を行ったり来たりしているようだ。
例えば、報道写真では見る者は撮影者の主観がその写真から排除された、客観的な事実、完全な客観性を前提として見ていると思う。
作品としての写真、映像においては、撮影者の世界の解釈の仕方を映像を通して見せることによって、撮影者の意図や思惑がどれほど見る者に伝わり、様々な感情を呼び起こすか、が重要になる。それが見る者に伝わらなかったり、共感できなかったりすると作品として評価されない。
そこでは撮影者の主観そのものを写真に見ているのだろう。
営業写真は、依頼者の見たい世界や再現したい世界をどれだけ正確に受け止めて再現できるかと言うことになるのかもしれない。
依頼者の見る世界、見たい世界、その感じ方を写真を通して見せることが求められる。
商業写真は、依頼者が他者や社会に対して伝えたいメッセージを、撮影者が依頼者に代わって写真を通して正確に伝えることが期待される。
一方、スナップ写真がどうかというと、プロか素人かに関わらず、被写体と撮影者の関係性が明確に決まっているわけではない。
被写体が撮られていることを意識していないスナップ写真は、撮影者と被写体との間に何の関係性も存在しない写真となる。
被写体は撮影者が撮っていることも、撮影者の眼差しをも意識していない普段の姿を撮られている。
被写体が撮影者を認識したスナップ写真は、撮影者と被写体とのその瞬間の関りが写し込まれる。
撮影者に抱いた瞬間の感情が、笑顔や、無関心や、憤りとして表情に紛れ込み、その人の姿として写真に残る。
被写体に依頼をして撮らせてもらったスナップ写真は、被写体は写真に撮られることを意識し、自分の望む姿となるように表情やポーズを作ったものが写真になる。
被写体に正式に契約や依頼をして、街の色々なところに一緒に出かけてポーズをお願いしてスナップ写真などを撮る場合、撮影者のイメージする街の中の被写体のあり様を写真にしようとする。撮影者の望む姿となるように、表情やポーズを撮ってもらって、写真にするのだろう。
そんなことを考えながら、相も変わらず変わり映えのしないスナップ写真を撮り続けている。