写真の中の記憶 Ⅴ

プラハの春 (2023/3)

 

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現在のチェコの首都プラハは、1346年から1437年の90年余りと、1583年から1611年の30年間弱の間、神聖ローマ帝国の首都がおかれた都市である。

 

市内は11世紀から18世紀にかけてのさまざまな時代様式の建築物が今も残っており、1992年、ヴルタヴァ川(モルダウ川)の西岸に位置する旧市街から東の新市街にいたる町全体の広いエリアが文化遺産として登録された。

 

僕にとっての初めてのヨーロッパは、この中世、近世が今に蘇ったようなプラハだった。

 

羽田からイスタンブール経由でプラハに入ったのは2023年の春、羽田~イスタンブール約13時間半、イスタンブールプラハ約2時間半、トランジットを含めると20時間弱の長旅であった。

 

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プラハは現在人口130万人余り。ほぼさいたま市と同じ人口規模ということになる。

 

僕の学生時代、この国はチェコスロバキア社会主義共和国という東側の国家として教科書や参考書に載っていた。

 

1989年のビロード革命によって共産主義体制が崩壊するとチェコスロバキアの分離の動きが進み、1993年1月1日、チェコスロバキアは連邦制を解消してチェコ共和国スロバキア共和国に分離、解体された。

 

僕たちの世代にとって、この町の名前を強く印象付けられたのが1968年に起こった自由化運動、プラハの春と呼ばれるものだった。

 

1968年の年始に始まったこの運動は4月には一時結実したかに思えたが、8月20日、今はなきワルシャワ条約機構軍(ソ連を中心とした東側諸国軍)がプラハに侵攻して武力弾圧を行った。

 

プラハの春として強く記憶に残ったのは、自由化運動そのものではなく、美しいプラハの市街地にソ連を中心としたワルシャワ条約機構軍の戦車が侵攻し、国民、市民の自由への意思と希望を武力によって踏みにじったその記憶であった。

 

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歴史的には紀元1世紀ごろからこの地にゲルマン人が住み始め、この地域がボヘミアと呼ばれたのが始まりらしい。

 

5世紀ころゲルマン人が西へ移動した後に、この地に入ってきたのがチェック人(チェコ)とのことである。

 

その後10世紀にはチェコ人による国家が作られたが、11世紀以降ポーランド人やドイツ人による国家に支配される。

 

14世紀になるとドイツ系のルクセンブルク家による外来王朝が成立し、そのカール4世が神聖ローマ帝国皇帝に即位すると神聖ローマ帝国の首都としてプラハは急速の発展を遂げる。この時に現新市街地が整備され、学芸にも力が注がれ、中東欧で最古のプラハ・カレル大学が設立されるなど、ヨーロッパの文化の中心となった。

 

1435年、ルクセンブルク朝断絶の後、ハプスブルク家に引き継がれ、1867年になってからはハプスブルク家連邦国家の一員として現在のチェコオーストリア=ハンガリー帝国に組み込まれ、1918年の第一次大戦後、チェコスロバキアとして独立するまでその状態が続いた。

 

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プラハでは歴史的な変換点には、窓外放出事件が起こっている。

 

字の示す通り政治的、宗教的に対立が激化した時に、対立する相手を高い窓から突き落とた事件である。

 

この窓外放出事件と呼ばれるものは、これまで三度起こっている。

 

第一次窓外放出事件が1415年、宗教対立で改革派を抑え込もうとしたローマ・カトリック教会が市の要職者を全員ローマ教会信徒だけに入れ替えたことに怒った改革派が、7人の要職者をプラハ市庁舎の高い窓から外に放り出して殺害してしまった事件である。

 

第二次窓外放出事件は1617年、熱心なカトリック信者であったハプスブルク家の王に対して反発するプロテスタントボヘミアの貴族たちとの対立の最中、王の使者である国王顧問官2名と書記の3名が、城の三階の窓から地面に突き落とされた事件。この事件がその後の30年戦争の引き金となった。

 

そして第三次窓外放出事件はチェコスロバキア外相が、外務省の中庭、浴室の窓の下でパジャマ姿の転落死体となって発見された事件である。犯人は特定されていないが、2004年にプラハ警察が公開した調査結果では窓から突き落とされて殺害されたとしている。

 

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プラハの春から55年後、半世紀を超えて初めて訪れたプラハは、民族独立と自由獲得のための長く続いた戦いの歴史に終止符を打ち、現在ではNATOEUOECDの加盟国として自由で平和な時代を迎えている。

 

2023年現在、物価の高騰が激しい西洋諸国に比べ、チェコは比較的物価も低く、レストランの食事もおいしくて旅行には最適な場所だと思える。

 

国によっては街が汚れていたり、不衛生な感じがしたりするところもあるがプラハではそんなことは一切感じない。

 

街は美しく、比較的安くおいしいものも食べられる、まさに旅で訪れるにはうってつけの街だといえる。