記憶の中の写真 35

初夏にむかう片瀬江ノ島 (2022/05/04)

Out of box

Olympus OM-D E-M5 35-100mm

 

Olympus OM-D E-M5 35-100mm

 

Olympus OM-D E-M5 35-100mm

Olympus OM-D E-M5 35-100mm

 

Olympus OM-D E-M5 35-100mm

 

Olympus OM-D E-M5 35-100mm

 

Olympus OM-D E-M5 35-100mm

 

Olympus OM-D E-M5 35-100mm

 

Olympus OM-D E-M5 35-100mm

 

3年ぶりの片瀬江ノ島

コロナ感染も小康状態のゴールデンウィーク片瀬江ノ島は人出でにぎわっていた。

 

世界中はパンデミックウクライナ問題、そして国内の物価上昇など暗いニュースばかりの中、快晴の海岸沿いは久しぶりの初夏の気分にあふれていた。

 

解放された気分で、写真を撮っていると、自分がいつも同じような対象に向けて、同じような構図でシャッターを切っていることに気づく。

 

出来上がった写真はいつも似たような写真になる。

 

自分の頭の中にある、写真とは、

こういうものを

こういうアングルで

こういうシャッターチャンスで

撮るものだという思い込みや決め込みが、どこで撮っても同じような写真ばかりを量産させている。

 

自分の撮った写真を見ると、そこで感じたことや考えたことが透けて見えて面白いのだが、いつも同じ枠の中から抜け出せていないことも見えてくる。

 

自分の気持ちとは裏腹に、写真を撮るときには型にはまった見え方と見せ方に囚われたものになっている。

 

端から端まで入れて

奥行きと平面を意識して

並行と垂直をとって

遠くと近くが際立つように

3分割の構図で

フレームインフレームを探して

透過と反射を利用して

明と暗を対照的に

コントラストをつけて……

……………………

 

趣味の写真だし、他人に見せるためのものでもないので自己満足で良いのだが、何か窮屈に感じる。

 

沢山見ていると退屈にもなるし、飽きてもくる。

 

どうすれば、それらを捨てて、抜け出せるのだろうか?

 

とはいっても、何も考えずに機械的にシャッターを切ってみるが、それはもう自分の意思や意図と関わりのない、つまり自分の介在しない写真になってしまう。