サイゴンの熱い夜 (2011/11/4)
僕たちの世代にとっての戦争体験は、テレビ、新聞、雑誌のニュース映像として目にするベトナム戦争であった。
ディエンビエンフー陥落、トンキン湾事件、フエ城の攻防、北爆、テト攻勢、サイゴン陥落と、次々と目に飛び込んでくる刺激的な単語と映像が、世界の関心の的であり、ニュースにとっての最前線であった。
伝え聞くと、世界中の新聞社や通信社から派遣された記者やカメラマン、フリーのカメラマンが当時の南ベトナムの首都、サイゴンに集結し、そこを拠点として、前線に命懸けの取材に出かけて行った。
サイゴンの街はベトナム戦争を取材する世界中の記者やカメラマンの情報交換の場となり、レストランやバー、スナックなどの飲み屋は溜まり場として、夜遅くまで熱い議論が続いた。
そこには、国家の正義や理屈があり、新聞社や通信社のいち早く正確な情報を得ようとする競争意識があり、一発当ててどこかの新聞社や通信社からのオファーを得ようとするフリーの記者やカメラマンの目論見があり、サイゴンの夜は種々、雑多な正義や利害や欲望が渦巻いていた。
泥沼化したベトナム戦争からアメリカ軍が全面撤退した後の1975年4月30日、南ベトナムは北からの攻撃に耐えられず大統領が無条件降伏を宣言し、それとともに北の軍の戦車が大統領官邸に侵攻し、サイゴンは陥落した。こうして、ほぼ20年間に渡り続いてきたベトナム戦争は終わりを告げた。
それから36年後の2011年、僕は、その後隣の中華街チョロンを吸収しホーチミン市と名前を変えたサイゴンを訪れた。
街にはその当時を思わせる物は見当たらなかったが、ホーチミンの夜の街をカメラ片手にうろつきながら、一人、当時のサイゴンの熱い夜に想いを馳せていた。